Sorry,Japanese only
阿波神社 あわじんじゃ
 
 
観光 HOME

阿波神社 の場所
 
住所
鳴門市大麻町池谷字大石
 
 
赤色 が 阿波神社
 
阿波神社 近辺には
 東林院 がある
 
 
 
大きい画像サイズで表示

@ の場所から 北方面を撮影
 
 
 
鳥居 右側 方面に駐車場 あり
 
 
 
 
 
@ の場所から 西方面を撮影
 
 
 
阿波神社 鳥居 左側には
土御門天皇火葬塚 がある。
 
 
 
手前には 以下のことが お知らせされている。
  一、みだりに域内に立ち入らぬこと
  一、魚鳥等を取らぬこと
  一、竹木等を切らぬこと   宮内庁 と書かれている
 

A の場所から 西方面を撮影
 
 
 
鳥居から少しすると
宮田竹三翁 の石碑がある。
 
 
 
 

B の場所から 北方面を撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
 
C の場所から 北方面を撮影
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
阿波神社 略記
 
 阿波神社は、第83代 土御門天皇を御祭神として奉祀致しております。
土御門天皇は、第82代 後鳥羽天皇の第1皇子(御諱為仁親玉)として、
建久6年12月 2日(1195年)御生誕、建久9年3月3日 4歳で御即位、
元久2年 1月 3日(1205年)11歳で元服されました。
承元4年11月25日(1210年)16歳のとき、後鳥羽上皇の御意志により、
御即位13年で、第3皇子守成親玉(第84代順徳天皇)に御譲位されました。
 承久の乱 [承久3年(1221年)]により後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳天皇は
佐渡へ流されたため、土御門上皇のみ都にとどまることを由とせず、自ら
ご希望により 同年10月 土佐の畑にご遷幸されました。土佐にご在留中
北条氏は、度々御帰京をすすめられましたが応じられない為、せめて少しでも
京都に近い所として、貞応2年5月27日(1223年) 土佐ご駐留約1年半後、
阿波にご遷幸、約9年間御滞在されましたが、寛喜3年10月11日(1231年)、
37歳で当地におきまして崩御され、御火葬されました。
 上皇は大変温和であり、温情が深く、争いごとは好まれず、人の喜び、
悲しみ等は、良く理解されるご性格でありました。
 また、和歌には造詣が深く、藤原家隆や定家を師と仰ぎ、その歌風は
流麗な新古今風であり、家隆の歌調であると云われております。
 本県におきましては、上皇の御懿徳を顕揚し、かつ御心霊を慰め奉るため
神祗院の指導の下、県社寺課の設計監督により皇紀2600年記念事業として
全県民の浄財と勤労奉仕 約7万名により、社殿の規模が狭小であった
丸山神社を廃し、阿波神社と改称して、昭和18年10月に竣工しました。
 
大きい画像サイズで表示
 
観光 HOME

2005年10月下旬 撮影